
本宮(ほんぐう)
熱田の杜(もり)奥深く鎮まります本宮は、明治26年までは尾張造りの社殿でしたが、三種の神器奉斎の社であることから伊勢の神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに改造されました。
昭和20年3月・5月と、2回の戦災を受けましたが、昭和30年10月に造替されました。
本宮の拝所は外玉垣御門(とのたまがきごもん)の前で、この御門と四尋殿(よじんでん)を併せ拝殿と称し、東西翼廊を付設しております。
その拝殿より御垣内を拝すると、一番奥に最も高く千木(ちぎ)・勝男木(かつおぎ)の見える社殿が「本殿」で、熱田大神はここに鎮まります。拝殿から順に「外玉垣」「内玉垣」「瑞垣(みずがき)」の垣があり、垣の各南正面には御門があります。内玉垣と外玉垣との間の広場を「中重(なかのえ)」といい、正面中程に立っている鳥居を中重の鳥居といいます。例祭をはじめ祭典の多くはこの中重にて斎行されます。
社殿は、再建以来50余年を経て、大屋根の葺替えをはじめ授与所・神楽殿の修造時期を迎えたことから、平成19年10月22日「仮殿遷座祭」を齋行。約2年の歳月をかけて事業は竣功し、平成21年10月10日に「本殿遷座祭」、翌11日に「臨時奉幣祭」を晴れて斎行。4年後の平成25年、創祀千九百年の慶節を真新しい社殿でお迎えする準備が整いました。

大楠(おおくす)
弘法大師のお手植えと伝えられ、境内には楠が多く、特に巨大なものがあったので、俗に七本楠と言われております。手水舎北側にあり、樹齢は約千年になります。

信長塀(のぶながべい)
永禄3年(1560)織田信長が桶狭間出陣の時、当神宮に必勝祈願をしてみごと大勝したので、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)です。
土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねたもので、兵庫西宮(にしのみや)神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つとして有名です。







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